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バックパッカーの旅Ⅰ(東京~アテネ)

バックパッカーの旅Ⅰ(東京~アテネ)

≪アフガニスタン≫カイバル峠とパイパー峠

               ≪九月二十四日≫      -爾-

  何もない、土と石だらけの不毛の地を、一本のアジア・ハイウエーが細く真っ直ぐに伸びている。
 そんな砂漠の中を、我々を乗せたバスは快調に走る。
 国境に近くなったのか・・・・バスの中で車掌らしき男が、出国税だと言って1Rp(34円)を徴収し始めた。
 一人一人から1Rp取り立てている訳だから、払わないわけにはいかないようだ。
 たったの34円なのだが、パキスタン・ルピーをわずかながら持っていて助かった。

 バスは岩だらけの峠にさしかかった。
 これが、あの噂の高かったパイパー峠なのだろうか?
 峠は一つしかないのだが、名前は二つある。
 パキスタン側をパイパー峠と言い、アフガニスタン側をカイバル峠と言うらしい。
 峠を登りきると、素晴らしい眺望が開けてきた。

 山と山の合い間を縫って流れる川に沿って、舗装されているとは言え周りは何もない自然の道が走っている。
 石と土だけの景色が一変する。
 湖とその周りに突然現れる緑濃い植物群が、砂漠の中に鮮やかに現れてくる姿に、時間が止まったように見とれてしまう。
 突然、本当に突然姿を現すのだ。

 湖には豊満な水がたたえられ、濃い緑が湖の周りだけ鮮やかに生い茂っている姿は、辺り一面砂漠だけに見事と言うほかに表現の仕様がない。
 これが本当のオアシスと言うものだろう。
 砂漠の太陽の陽射しは思いのほかキツイ。
 バスの窓ガラスを、容赦なく陽ざしが突き抜けて、肌を刺すのだが窓を開けることができない。
 ハイウエーは、舗装されているとは言え、ものすごい砂煙が上がっているのだ。
 窓を開けようものなら、その砂煙がドッと入ってくるからだ。

 そんな山道を、バスは右に左にカーブを切りながら走る。
 すれ違う車はほとんどいない。
 人の姿も見ることはない。
 動物の姿もない。
 だからだろうか、バスの運転手はカーブにさしかかろうが、スピードを落とすことなくドンドン登っていく。

 自然以外何もない砂漠に、突然黒い大きなテントが、距離をおいて4~5つ、初めて見る事ができた。
 たぶん遊牧民族なのだろう。
 移動しながら大家族が暮らすテント。
 なぜテントは散らばっているのだろうか?
 テントだけではない。
 沙漠と同じ色をした家屋がポツンと、カメレオンのように、自然と同化している姿を見ていると、人の生きる力を感じない訳にはいかない。

 日本人には、こんな砂漠の中に一人放り出されたら、どうして生きていけばいいか混乱することだろう。
 自分が一人砂漠に放り出された姿を頭に描いてしまう。
 このバスの中にだけしか、今の自分が存在しない事を、確認してしまっている自分が情けない思いと、何千年と自然と闘ってきた彼らの生命力の逞しさを、思わずにはいられない。

 小さな街らしき所にバスが入って行く。
 検問所があり、そのたびに助手がバスを下り、通行税のようなものを支払っているようだ。
 峠を登りきった所に、パキスタンのカスタムがあり、全員バスを降りることになった。
 出国の手続きを取る為だ。
 バスは乗客たちを下ろした後、空のまま少し離れたアフガニスタン側のカスタムまで、荷物を載せたまま移動し始めた。

 残された乗客たちは、道路沿いにある事務所で、出国の手続きを済ませる。
 出国手続きはわりと簡単に終る事ができた。
 何かのガイドブックに、”カイバー峠の茶屋では、ビスケットと一緒に銃も売ってくれる。”などと書かれてあったのを思い出したが、カスタムの近くにはそれら しきものは見かけない。
 路上では、汚い格好をした現地の人が、アフガンの札束を抱えて闇屋(両替商)をやっている。

 早速、闇屋に声をかけて、5US$を両替してもらう事にした。
       俺 「両替して欲しいけど、レートはいくらなの?」
       闇屋「1US$、40Afgだ。」
       俺 「42Afgだと聞いてるけど。」
       闇屋「40Afgだ。」
       俺 「42Afgにしなよ。」
       闇屋「ダメだね。」
       俺 「しょうがねーな。両替してよ。」
       闇屋「OK!」

 この辺りに両替所らしき建物もないし、もしあったとしても闇屋よりレートが良いとは今までの経験上からも、とても思えないので両替をしてもらう事にしたのだ。
 200Afgを手に入れる。
 1Afg≒7円。
 出国の手続きを済ませると、各人アフガニスタンのカスタムまで歩いていく。
 近くの見える山頂には、砲台が見える。
 あの砲台は、パキスタンを睨んでいるに違いない。

 道路標識を見ると、Kabul(カブール)まで、224Kmと書かれてある。
 バスから荷物を下ろし、荷物の検査をする。
 倉庫のような建物に入り、唯一あるカウンターに荷物を置き、調査官に荷物を検査してもらうが、これがまた大変。
 品物のチェックを一つ一つしていくのだ。

       検査官「これはなんだい?」
       俺  「ラジオだ。」
       検査官「いや?製品名だ。」
       俺  「パルサーと言う、日本のラジオだ。」
       検査官「おお!日本のラジオ、素晴らしい!」

 そう言いながら、持参金と金目のものが全てパスポートに書き込まれていく。
 検査が終っても、全員の検査が終るまで外で待たされる。
 まわりを見渡すと、一人の毛唐がヒッチハイクをし始めた。

       俺  「ええッ!こんなところでヒッチするの????」

  なんと彼は、暫くして一台のジープをヒッチしたではないか。

       俺  「やったぞ!ヒッチしたぞ!こんな砂漠の中でヒッチできるの???」

 まるで自分が何の目的で旅をしているのか、忘れてしまっている自分に気づき、苦笑いをしてしまっている。

       俺  「ダメだよなー!こんな所でヒッチなんて。」

 10Afg(70円)でコーラを購入して、バスの上にもう一度荷物を預け、全員バスに乗り込んだのを確かめて、バスはゆっくりとアフガニスタンに地へと走り始めた。
 午前十時三十分、バスは峠をドンドン下っていく。
 パイパー峠のような、緑も湖も見えてこない。
 何処まで走っても、ゴツゴツとした岩肌ばかりが続く。
 あるのは砂漠の景色だけ。

 しかし、人が暮らしているのは、確かなようだ。
 人が環境に対して、ここまで順応していけるのか、全くの脅威としか言いようがない。
 そして、堕落してしまった人間のなんと弱い事か。
 日本では、借金を苦に自殺したとか、恋に破れて自殺したとか、受験に失敗して自殺したとか、なんとくだらないことで、いとも簡単に死んでいくというのに、砂漠で暮らす彼らの生命力と言ったら、感心してしまう。
 人の命の価値と言うものは、砂漠で暮らす人と、ぬくぬくと暮らしている日本人とに、こんなにも差があるものなのか考えさせられてしまう。

 途中、とんでもないところでバスは停まった。
 見ると、茶屋らしき建物が、ポツンと一軒道の端にある。
 さしずめ、ドライブインとでも言おうか。
 バスを降りる人もいれば、残っている人もいる。
 バスを下りる事にした。
 乾ききったのどを潤したかったのだ。

 バスを降りると、足元で砂煙が上がった。
 何もつけていないと、目から鼻から砂が飛び込んでくる。
 茶屋には日本で言う、床机があってそこに腰掛けてチャエを飲む。
 周りに水瓶がいくつも置かれていて、蓋をあけて覗くと水がたくわえてある。
 その水をすくって飲もうと思うがちょっと躊躇った。

 水は諦めて、ミルクティ-のようなチャエを注文する。
 これがなんとも美味い。
 甘味がなんとも言えず心地よい。
 現地の人たちはこのチャエを、一日に10杯ぐらいは飲むと言う。
 このチャエで不足するビタミンを補給しているのだと言う。
 バスは十分ほど停まっていた。

                    *

           ≪ガイドブック≫

     ”緑に囲まれたパキスタンのペシャワールからカイバル峠を登りきって、海抜2000mもアフガニスタンに入ると、そこはもう一面半砂漠であまりの変りように、驚かされるでしょう。ここから中近東が始まるのです。
アフガニスタンはこれと言った産業がなく、石油も出ず、では農業国かと言えば、それらしき農業地帯も見当たらず、一体この国の人たちは、何をして暮らしているのか見当がつきません。
だから、国民所得も中近東で最も低く、物価も最低なのです。この国もかつて米・ソの対立に巻き込まれた事があります。中国・ソ連に隣接している為、アメリカはこの国に戦略基地を欲しがり、一方ソ連はそうさせじとばかり、両者競ってこの国に経済や技術援助をし、それぞれ自国の味方に引き込もうとしたわけです。その結果できたのが、この素晴らしいハイウエーなのです。
ハイウエーをオンボロバスやロバに引かれた荷車がノロノロ行く姿は実に滑稽であります。
またその横で、遊牧民族の子供達が一日中、道端に腰掛けて、のんびりと羊の群れの番をしている光景などは、実にのどかで平和なものです。
ところで、建国以来、立憲君主制をとっていたこの国も、1973年にクーデターが起こり、共和制へ移ってからは、急速に変化しているようです。”


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